2007年12月28日金曜日

落語の土地に行ってみる - 柳島の妙見様 rakugo : myoukensama

歌舞伎役者の中村仲蔵が初めて名代となった時に、もらった役を工夫して成功させる噺「中村仲蔵」。
いくつか音源を持ってますが、僕のお気に入りは八代目林家正蔵のものです。
噺の中で芝居の描写をするのだけれど、噺のリズムと芝居のリズムがしっくりしてて、どちらも無理なく無駄なく聴けます。


役をもらったはいいけれど、つまらない役をどう工夫したものか、悩む仲蔵が柳島の妙見様(やなぎしまのみょうけんさま)に願がけに行きます。神様仏様に「いい工夫ができますように、いい工夫を思いつきますように」と頼みに行くのですね。

柳島の妙見様とは、墨田区業平5-7にある妙見山法性寺です。
芸能関係にご利益があったらしいです。
写真:妙見山法性寺
上がマンションになってますよ〜。文化的なおもむきはありますが、霊験あらたかには見えませんね。。

敷地の入り口に墨田区教育委員会が立てた「昔ばなし柳塚」の説明看板があります。
「この石碑は落語界の一派、柳派の記念碑と考えられます。剥落が激しいため…」と書いてあるのですが、はて「この石碑は…」と書き出すからにはその説明書きの近くに石碑があるはずなのだが、それらしいものが見当たらない。
そんな落語ゆかりのものがあるとは知らず来たのだけど、見当たらないのは気になりますね。

奥まで入って行ったらありました。説明看板と当の石碑が違う場所にあるって、お寺も教育委員会も相当やる気ないね。
写真:昔ばなし柳塚
この石碑の近くには手書きの説明塔婆(とうば:戒名書いたりする板。矢印とか書いて案内にも使ってるのがお寺らしいですね)があって、それには「東西落語家結集の碑」とありました。教育委員会の説明と違いますね。
この意見の相違で看板と石碑が離れてるのかしら。

他にも近松門左衛門の碑とか、初代歌川豊国の碑だとか、八世桂文治の碑などがあって、なるほど芸能関係に強そうだけれど、敷地の隅に追いやられてなんだかこじんまりとしてます。
文化財とは言っても石だから、見に来る人もあまりいないのでしょう。

林家正蔵の音源では、仲蔵は7日間妙見様にお参りします。
仲蔵が住んでいるのが人形町で、地図で計ったところ人形町駅から片道5.2Kmほどあります。
それを毎日通うのだから、ちょっと大変な気もしますが、昔の人はどこへでも歩いて行ったから、5キロぐらいは充分行動圏になるのでしょう。
あまり近いとご利益が少ないという気持ちもあったようだし、役にどんな工夫をつけるかと考えながら歩くなら、それくらいで丁度いいのかな。

噺では7日目の帰り道、急な雨に降られて仲蔵がそば屋で雨やどりしていると、そこに入って来た侍から大きなヒントを得て役を成功させます。

法性寺の近くにそば屋があったので、一瞬入ろうとしたけれど、値段がわからない-高そう-なので却下。
仲蔵が帰り道に寄ったそば屋は、雨やどりのためだからこんな近くではないだろう。
そばも食べたくて注文した訳ではなく、ぐずぐず食べるような食べないような描写があるので、うまいそばではいかんのだ。

いつしか帰り道にそばを求めていたので、駅で立ち食いそばを食べました。
なんだかうまいんですけど。

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