2007年6月1日金曜日

落語の土地に行ってみる - かや寺 rakugo

「続・東京落語地図」(佐藤光房著 平成2年 朝日新聞)を参考に、古典落語「蔵前駕篭」(くらまえかご)の舞台になったあたりを写真に。
夜になると駕篭に乗った客を狙う追いはぎが出没する蔵前通り。
只の追いはぎではなく、浪人くずれだから刀を持っている。駕篭屋も客もただの町人だから、それがとても怖い。
もちろん、江戸時代を通じてそんなに治安が悪かった訳ではなく、噺家も「幕末の頃になると世の中が殺伐としてまいりまして」と説明を入れているので、幕末頃ならそういう事もあったろうかなあ、という設定のお話。

蔵前通りは現在の江戸通り。
神田あたりから吉原遊郭に行くのに通る道なので、ちょっと見栄を張りたい野郎は駕篭で吉原に行く。
女遊びに行くのだから、お金を持ってない訳がない。それで追いはぎの話ができる。
現在の蔵前駅から駒形橋のあたりは隅田川沿いに蔵が並んでいたそうです。
だから蔵前通りなのでしょうねえ。
言うなれば当時のオフィス街、ですかね。
それが夜になると人がいなくなったのでしょう。
駕篭をかついでる若い衆が「アニキ、このへんは、榧寺(かやでら)だぜ」「追いはぎが出そうだな」などと言ってると、うっそうとした木立から追いはぎの一団が出て来る。


台東区蔵前より、江戸通りを浅草方面に向かって。
標識の交差点は春日通り。左に曲がると榧寺がある。

かやでらというのは当時の地名か、何かの符丁(ふちょう - 仲間内に通じる言葉)かと思っていたら、実在するお寺の名前だったとは知らなかった。
手もとの地図をよく見たら載ってるじゃん!「かや寺」って。
東京都台東区蔵前3-22に榧寺があります。


榧寺を通りの反対側より。向かって左の建物はお寺の敷地内にある「かやの木会館」多目的ホールだそうです。

おそらく江戸時代は、このお寺の敷地、あるいはその周りは森になってたのでしょう。
しかし今では、江戸通り沿いには歩道の街路樹しかありませんな。

ちなみに駕篭という乗り物は、二人の人間が一人を持ち上げて運ぶから、かなり高額料金だったそうです。
スピードも歩いて行くのが普通で、急いでいたなら駕篭に乗るよりも自分で走った方が早い、ってそりゃそうだよね。
速くもなく、ただ楽したいから駕篭に乗って二人の大人に手間賃払おうというのだから、お金持ちの乗り物だったのですね。

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