父が亡くなりました。
あわてて実家に戻り、先日葬儀を終えて、 ぐったりしているところです。長男なので喪主やりました。
しかしこうなる事はわかっていました。数ヶ月前から入院して、 もう助かる見込みはない、ただその日がいつになるか。
どうにかコミニュケーションできていたのが、 記憶と感情が千切れちぎれに浮かんで消えるようになり、 たまに何か反応するだけになり、それが荒く息をするだけになり、 亡くなったと連絡がきました。
こうなったら実家に戻るつもりでいたので、アパート引き払います。引っ越します。母親が心配なもので。
実家は千葉県野田市です。皆様今後もよろしく、と言いたいけれど、一段落してから創作活動に充てられる時間や意欲がどれだけあるだろうか。
実家は農家で、いや、農家だったけど、僕に子供がいて農業やると言ったとしても、これ全部いらねーだろ!という古い農耕機具プラスごみがいっぱいある。その他どうにか処分したい、すっきりしたいものがいっぱいある。アパート暮らしをしていたせいかコンパクト生活指向になっているので、(それにしてはアパートにいろいろ物がありますが) これから20年かけて「縮小」していくことになりそうです。そんな事しないで、いらない物がどっさりあるまま家が朽ちていくのもアリなんだけど、いずれにせよ先の事を思うと明るい気分にはなれませんねえ。
そんな事を思いながらの喪主だったので、かなりきつい日々でした。動いていればまだしも、じっと座っていると手がしびれて頭がくらくらして、車を運転してるとヤバいなこれって。葬式の前にオレも死ぬんじゃないかと思った。
さてこの先、「余暇」がどれほどあるのかしら。これまでの十数年、自分の創作活動は多方面にちょっとづつだったものが、段々と範囲が狭く、しかしようやく先鋭的になってきたのではないかと自分ながら思っていました。それがこれからどうなってしまうのか。
写真は父のカメラです。立派な一眼レフですが、ヘビーユーザーではなく旅行に行っては風景や花を撮っていたようです。
定年退職してからは、いろいろな趣味を始めて、 おそらく飽きてやめていたようです。 写真もそのひとつだったようで、最近はそんなに撮っていなかったのかな。 フィルムからデジタルに移行する時期に、 あえてフィルムカメラを買ってみたり。 カメラにはぼんやりとあこがれていたのかも知れない。
僕はこの頃デジカメ派だったので、それもコンデジやレンズ一体型メインだったので、ほとんどカメラの話はしなかった。カメラ以外の話もあまりしなかったけど。
ミノルタのα9 縦持ち用のバッテリーグリップが装着されてて、けっこう重かった。いいお客さんだよなー。僕がいじくるにあたって、縦持ちグリップは外しました。本体の電池もある程度残っていて、どうやら作動には問題なさそうです。
写真ではミノルタの100ミリマクロが付いてますが、それは奥にしまってあったもので、あまり使ってなかったのではないかと。タムロンのズームレンズが装着してありました。100ミリは使いにくかったのかな。
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