2008年5月31日土曜日

アーサー・C・クラーク月間 arthur c clarke

5月の一ヶ月間にアーサー・C・クラークの小説を6冊読みました。
僕にしてはかなりのハイペースです。
最初の2冊ぐらい読んだ頃に、今年の3月にクラークが亡くなっていた事を知りました。
90歳。壮年の頃から難病と共にあったようですが、大往生しましたね。

クラークほどのSF作家であれば、その他界はテレビニュースぐらいにはなったろうけれど、僕はテレビ見ないしネットのニュースサイトは一日に何度も見出しが変わるから、大きなニュースでも知らないことはしばしばある。
いちばんよく行く近所の本屋でも、3、4ヶ月は行かない時もあるから、そこで追悼セールを半年ほどやってくれないと知らないままですな。
4月に行ったけれど追悼セールらしきものはやってなかった。SFは片隅にちょこっとあるだけだからなあ。

考えてみれば昔はもっと頻繁に本屋に行ったものだけれど、ここ数年はあまり行かなくなりましたね。
・雑誌を買わなくなった
以前はPC雑誌やビデオ雑誌を買ったものだけれど、それを買わなくなるだけで、なるほどぐっと本屋に行く回数は減りますね。
・本屋からの刺激がつまらなくなった
つまらないとまでは言わなくても、以前ほどわくわくしないです。お店で表示される情報に飽きたのかな。商業施設全般に言えることですけど。
・お金がない
以前に比べたら、本に使うお金は減った気がします。経済的余裕もないし、アパート暮らしになってあまり空間に余裕がないから、やたら買ってはいけない、という意識もありますね。
・ネット通販を利用するようになった
これも大きな要因ですね。家計簿ソフトを開いてみるとこの1年半で、冊数で言うと、本屋での買い物1に対して通販は2の割合になります。
・古本屋で買う
実家にいた頃は行動圏に古本屋が少なかったけれど、東京は古本屋が多いですね。
安いからというのもあるし、その時買わないで売れてしまったらもう(その値段で)入手できないかも知れない、という気持ちがあって。
アパートの部屋は狭いので、それら古書を買ってしまうと、値段が高くて入手しやすい新刊書はあとまわしになってしまうのです。
ブックオフもよく行くけれど、それよりも、雰囲気のいい古書店はなにか買うつもりがなくても入ってしまいますね。
以前、大型の書店(新刊書を売る店)には同じように、買う予定がなくても入っていったけれど、最近それがなくなりました。
商業施設としての魅力はきれいに分類・整理された古書店の方が大きいという事ですかね。
最近では浅草の"きずな書房"がそうです。行動圏にあるので近所の本屋よりもよく行きます。今日も3冊買いました。ああ、空間の余裕が…
ちなみにブックオフはきれいに分類・整理されてないのであまり魅力は感じないです。

さて。クラークの本ですが、僕は小説として好きです。
SFとしては、どうなんでしょうねえ。あまりにもスタンダードっぽく感じられて「おお」とか「うひゃー」とか思わないけれど、ちょっとは思うけれど、それよりも小説としてしんみりできていいのですよ。

5月に読んだクラーク6冊。

「幼年期の終わり」
1953年
有名な作品ですが、読んだことなかった。長編のもとになった同名の短編は読んでました。
短編の方はアイディアが目立つショート・ショートみたいな印象でしたが、長編は…その最初のアイディアに縛られてしまって、不自由してる気がします。一部の西洋人の持つ悪魔のイメージを世界普遍のものみたいに描くのもどうかと思うし。

「海底牧場」
1957年
当時は「食糧確保のための捕鯨」を未来の主流として英米人が論じる事ができたのですね。興味深い。
クラークには鯨類保護の視点もあったろうし、実際この小説のラストはそうなってるけれど、世の中はもっと急進的・感情的になってしまったようです。

「イルカの島」
1963年
45年前の近未来小説ですが、イルカ研究についてはどうなんだろう、この小説ほど進んでいるのかな。
海好きクラークの珊瑚礁讃歌でもあります。

「2001年宇宙の旅」
1968年
有名な映画の、原作でもノベライズでもない「小説版」
クラークが映画の脚本と同時進行で書き進めたというから、その創作スタイルも気になりますね。
これはとてもいいです。映画よりもずっとわかりやすいし、映像がすぐに頭に浮かぶのでイメージもしやすい。
刺激・強烈さは映画の方がはるかに強いけれど。


「2010年宇宙の旅」
1982年
映画「2010年」の、これは原作と言っていいみたいですね。
ただし、小説「2001年宇宙の旅」の続編ではなくて、映画「2001年宇宙の旅」の続きになってます。いろいろな設定がそうなってるのです。
だから、小説「2001年宇宙の旅」をいいと思った僕としては、あれれれ、って。
映画「2001年宇宙の旅」を見て小説を読まなかった人にも、ちょっとこれはどうなんだろうなあ。説明しないでほしかったことがあっさり書かれているようで拍子抜けするのではないかな。もっともそんな人はこの小説を読まないか。
僕は映画を見たんだけど、う〜ん、まるで覚えてない。P・ハイアムズ監督の映画は好きだけど、アクションがないとね。

「遥かなる地球の歌」
1986年
僕はこういう牧歌的なもSF好きです。ユートピア小説が好きなのかな。ましてやクラーク。じんわりしますね。
マイク・オールドフィールドがこの小説にインスパイアされたらしい同名のCDアルバムを1994年に出しています。そっちは何年も前から愛聴してますが、小説はずっと読んでなかったのです。
で、小説を読んだ後にCDを聴くと、う〜ん、まるでリンクしない。なんでこんなものが出来上がったのだろう。いや、愛聴してますが。
アマゾン.co.jpでこの小説は古書しか扱ってないので、もう絶版なのかな。
しょうがないからiTunesのマイク・オールドフィールド"The Song of Distant Earth"にリンク。icon

2008年5月29日木曜日

映画「フィクサー」 michael clayton

於TOHOシネマズ西新井。

予告編や宣伝の感じから、凄腕「もみ消し屋」が巨悪を手玉に取る…みたいな映画かと思っていたらどうも違ったようだ。

Michael Clayton
2007年アメリカ映画
トニー・ギルロイ監督

凄腕らしいんだけど仕事にイヤ気がさして、と言って新しい人生をさがすでもなく、悶々と日々の雑事に追われている中年男性がジョージ・クルーニー扮する主人公。
いちおうサスペンス的な要素もあるけれど、ハラハラさせるのが目的ではない。
じゃあこれはどんな映画なのかって、ちょっと表現しにくい。一風変わったタッチのリアルさを積み重ねて、映画のスタイルをきっちり固めるのを避けているのか、少なくともハリウッド映画らしいカタチにはしたくないようだが…
僕の見たてだと、極端に個人的なファンタジー、ですね。個人的すぎてジョージ・クルーニーの中の気持ちの高ぶりとこっちの期待とがタイミング合わない。
ふつう映画というものは、そのへんのタイミングを合わせるものなんだけれど、合わないとなると、合わない僕にとっては、一個体のみの例としてただ頭に入力されるのです。

そりゃ、あの馬のシーンは美しかった。本の挿絵とそっくりな光景があって、おもわず車から降りて…というのは映画的美術だと思います。人間個人のファンタジーを容赦なく描いてこそ映画だと思う。
でもこれってそんな映画だったの?

他の人物はみな、どう稼いで生きて行くのか、自分が誰に何をするかはっきりしている。
仕事がイヤになったと明言して行動する同僚から、借金取りのじいさんまで、自分のやる事がはっきりしているのに、ジョージ・クルーニーだけが悶々としていて煮え切らない。いつまでも悩んで困って、まわりの状況から仕方なく行動している。
映画もまた、クルーニーに何をさせたいのかはっきりしないまま進む。
型にはまった展開や脚本・描写を避けてしまったのがかえってよくなかったのではないかな。

「ボーン・アルティメイタム」の脚本家トニー・ギルロイのデビュー作と思えば確かに、この独特のリアルさ、細かいこだわりは納得できる。
どうやらフィクサーが大活躍する映画ではなさそうだとわかってからでも、それなりに楽しめる。
「なんだかよくわからないけれど、何かが確かに進行している」という感覚があって、それはそれで面白かった。でも映画が中盤になってもずっとそのままなんだもん。
どんな事が起こっているかというのは段々わかってくるけれど、クルーニーのあやふやなポジションが全然変わらない。
事件を扱った映画なのにその進展にクルーニーがまるで影響を与えない。

なにしろ見る前は「オーシャンズ13」がもっとリアルに、ワルになって、クルーニーの個人プレイ炸裂なのかな〜と思っていたくらいだから、その落差もあったけれど、そういったイメージなしで見たとしても、はてどうだろうか。

いちばんよろしくないのはラストにハリウッド映画らしい大逆転「仕掛けてやったぜ!」てなシーンがある事で、またそのシーンがこの映画で一番スカっとするから始末に悪い。
こんな型にはまったラストでいいのかよ、もっと違う映画にしたかったんじゃないの?今までの微妙なタッチはなんだったんだ。
これだったらシドニー・ポラックに監督して欲しかったぞ。
シドニー・ポラックはこの映画のプロデューサーで、クルーニーの上司役で出演もしてます。
映画監督として「ザ・ファーム」などのお手本サスペンス映画を作っているので、どうしても比べてしまう。
比べてみたらば、う〜ん、このオチならシドニー・ポラックの映画にして欲しい!
トニー・ギルロイのスタイルも細かいところは好きだけれどね。



ここまで書いて、ついさっき知りました。
シドニー・ポラックが5月26日に癌で亡くなっていました。
冥福を祈って「コンドル」でも観ようか。

2008年5月23日金曜日

ヒネモス 井の頭自然文化園 3D映像 hinemos anaglyph

5月17日、井の頭自然文化園でのヒネモスのコンサートに行きました。
開園記念日イベントだそうで。創立66周年だそうで。バンドがじゃないよ。たぶん。

ヒネモスのサイト
http://e-hinemos.com/

井の頭自然文化園は井の頭公園の一部で、動物園です。井の頭公園自体初めて行くので、ちょっとびっくり。
駅からわりと近いのに、でっかい公園があって、動物園まであるなんて。
吉祥寺は遠いからあまり行かないんだよね。
ふだんは入園料大人400円ですが、この日は開園記念日なので無料。

井の頭自然文化園のサイト
http://www.tokyo-zoo.net/zoo/ino/

ヒネモスは人数の多いバンドだし、場所も動物園とあっては、こりゃあ立体撮影でしょう!
今回アップしたのはPart1とPart2の2部構成で、それぞれアナグリフと平行法立体視で、それぞれYouTubeとQuickTimeがあります。
写真はともかく、動画はアナグリフよりも平行法の方が立体効果が高いですね。
でもヒネモスのタカペチ氏が平行法立体視できないようだし、最近僕はアナグリフに凝ってるので両方アップしました。
どちらにせよQuickTimeムービーの方がクリアでいいですね。

Part1 アナグリフ


よりクリアなQuickTime。
hinemos_080517_anaglyph_part1.mov
このブログとしてはQuicKTimeをメインに表示したいのだけれど、本数が多いからちょっと遠慮。

同じビデオを、平行法立体視で。

YouTube画像はデフォルトでもっと大きく表示されるのですが、このブログのデザインにあわせて横幅400にしてます。
小さくて立体視できないという方はYouTubeのページに行くか、QuickTime(横幅520)をどうぞ。
QuickTime
hinemos_080517_heikou3d_part1.mov

ヒネモスpart2アナグリフ
YouTube
http://jp.youtube.com/watch?v=ajCkmDBOgmo
QuickTime
hinemos_080517_anaglyph_part2.mov

ヒネモスpart2平行法
YouTube
http://jp.youtube.com/watch?v=iDFO0oAK8Yk
QuickTime
hinemos_080517_heikou3d_part2.mov




当然、動物も撮影しました。
アライグマ、ヤクシカ、アカゲザルのアナグリフ立体映像。

QuickTime
080517animal_anaglyph.mov

同じビデオの平行法映像
YouTube
http://jp.youtube.com/watch?v=ZhL121EYP-w
QuickTime
080517animal_heikouhou.mov




ふたつのムービーをアナグリフ化するにあたって、先日ダウンロードした(このブログ2008.5.14.の投稿)StereoPressDVを使いませんでした。
mixiにアナグリフのコミュニティがあって、そこでPhotoShopを使ったアナグリフ画像の作り方が説明されていたのです。
今までああだこうだ苦労してたのは何だったんだ!レイヤーふたつでいいんだ〜。
その作り方をFinalCutに置き換えて制作したのが今回のアナグリフムービーです。

2008年5月19日月曜日

映画「ミスト」the mist

於TOHOシネマズ西新井

THE MIST
2007年 アメリカ映画
フランク・ダラボン監督

怖かった〜。
久しぶりに眠れなくなりましたね〜。
怖さで、というよりも映像イメージで。

まず、悲劇的な結末がショックでした。
しかしそれはそれ。悲劇が嫌なら拒絶する事もできる。
受け入れられない人は、映画から一歩離れたところで、「ふうん」と見れるしそれでいいと思う。
僕もそのクチだと思う。
それまでずっと映画にのめり込んでいたのにあの悲しいラストだから、そりゃあないよ、とそれまで感じていたリアリティを否定したくなってしまう。

映画が終わって「いや〜、たいへんな映画を見ちまったなあ」とか思いながらも、帰りの夜道で暗い路地にびくびくすることもなく、もちろん家でも普通にごはん食べたり、パソコンいじったりできる。
ちょっと凄いホラー映画だけど大型獣のデザインが…とかなんとか言ってもいられる。
しかし、もう眠ろうと横になってじっとしてると、映画のイメージが脳内に沸き上がってくる。
それが怖くていやだ、という事ではない。思いうかべるのは怖いシーンなのだけれど。
じっとしてると他の事を考えられないのが、ちょっとしたパニックなのだ。
もうやめようと思っても、映画のシーンが頭の中でリプレイされ続ける。
子供がホラー映画見たらこういう事もおこるだろうけれど、まさか大人の自分がねえ。

単に強烈なショックシーンがあるからではなくて、俳優とかキャラクター描写とか、空間や空気の描き方など、細かいことの積み重ねでショックシーンが強く脳にインプットされたようです。
かつまた、あの悲劇的な結末をどうこちらが否定しようと、見てしまったからにはそういう物語として脳にインプットされる。そのことも脳内プレイバックを引き起こす要因になっているでしょう。ハッピーエンドだったらこうはならなかったのではないか。

2008年5月14日水曜日

アナグリフ3D画像を作るMac版ソフト StereoPressDV

数時間前、Macでアナグリフ3Dムービーを生成するソフトを発見しました。
POO's Toolsの"StereoPressDV"
http://www2.pair.com/shuono/tools/stereo_tool_j.shtml
静止画像用の"StereoPress"もあります。

今まで(このブログ2008.5.14.午前の投稿2008.4.29.の投稿)どうやってアナグリフ3Dムービーを作っていたかというと、Final Cutを使ってたのです。RGBを調節したり、トラックの合成モードを変更したりして、見よう見まねでやってたのですね〜。
試行錯誤しながらやっとあのレベルまでたどり着いたのです。

だってWindows版のソフトだったら立体写真総合サイト「STEREOeYe」にあるけれど、Mac版となるとちょっと検索してもみつからないから、ないのかな〜と思ってた。
3Dサイトのリンクをたどっていたらみつけたぜ。

しかしこのStereoPressDV、Classicアプリですな。2001年のソフトだから無理もない。
OSXのClassic環境で使えるので、日曜日のタイフェスタ映像をまたアナグリフ3DのQuickTimeムービーにしてみました。
アナグリフ画像は大きくても立体視できるので、小さいムービーではもったいない。480×360サイズです。
音はありません。StereoPressDVでムービーを作ると、音声トラックはなくなってしまうようです。

http://www.hinata.gr.jp/rmt/archive/movies/folder03/080511tai_anaglyph3d.mov

嬉しいことに、Final Cutで苦労して作ったものと大きな差異は感じられません。StereoPressDVで作ったムービーが本来のアナグリフ画像で、それを100点とするならば、Final Cutで90点近くまで到達していたかと自負できます。
しかしもうそんな苦労もしなくていいのかと思うと、それはそれでさみしいかな。
もっとも、いつまでも今のパソコンじゃないだろうし、Classicが使えなくなったらStereoPressDVも使えなくなるのだ。
なんにせよStereoPressDVのムービーの方がなんとなくクリアに見えるし、立体効果も確かな気がするのでQuickTimeのままアップしました。

午前中にYouTubeにアップしたムービーよりか、立体効果は高いと思うのですが。
http://jp.youtube.com/watch?v=DALa8oNicmY

タイフェスタのアナグリフ3D Thai-festival anaglyph

先日の日曜日、知人に誘われ、代々木公園でのタイフェスタに行きました。
行ったと言っても、時間がなくて、ちょっと通ってみたぐらいでしたが。
グリーンカレーを食べて知人と別れて、せっかくイベントに来たのだからと3D撮影。
もっと撮るものはいっぱいあったんだろうけれど、なにしろ時間がなくて。
人がいっぱいいた、というのはわかってもらえるかと。



赤青セロファンメガネで立体視できます。
できると言ってもまあ「だからどうした」ぐらいな感じですね。
動画のアナグリフ3Dは難しいな。
写真は写真で、2台のカメラを同期させるのが面倒らしいけれど。
動画であればきっちり同期してなくても、脳みそ君はあまり気にしないはずなのだ。

YouTubeじゃなくて、もっと高精細なQuickTimeムービーでも印象は似たり寄ったりなのです。
だから、こういうこともやってるというアピールでYouTubeにアップしました。

アップするのに「マルチ動画アップローダ」を使ってみた。
100MB以上のファイルや複数のファイルをアップするのに使う機能で、Windows版しかないような気がしてたら、クリックしたらMac版もあるじゃないですか。じゃあ使ってみよう。
480×360サイズ、1分30秒のムービーだけれど、H264圧縮で最高画質に設定したら150MB程度になったので、アップローダの出番です。
なるほどごちゃごちゃした映像のわりには劣化が少ない気もするけれど、それは元ムービーのデータ量が多いからなのか、それともYouTubeの圧縮技術が日々レベルアップしてるからなのか、わかりません。

カメラはキャノンのFVM100を2台使用。
ピントや露出など手動で調整できるけれどやりにくいので、2台ともオートで撮りました。
カメラはまったく動かないで被写体をじっくり見せた方が3D効果が高い気がしますね。
次の機会には三脚を使おう。




アナグリフ画像を見るための赤青メガネも売ってる、立体写真総合サイト「STEREOeYe」
http://www.stereoeye.jp/index_j.html




追記
この記述をアップした数時間後、Macでアナグリフムービーを作るソフトを発見しました。
このブログ2008.5.14.午後の投稿

2008年5月9日金曜日

QuickTime7.4.5にしたらFlashとの親和性がゼロに

ゼロは大げさかな。でもゼロみたいなもんだ。
いちおう、Flashの"ファイルメニュー/書き出し/ムービーの書き出し"でQuickTimeの書き出しができる。
けれど出来上がったQuickTimeムービーを見ると、QuickTimeの経過時間と、Flashでファイルを作る時のタイムラインとが完全に同期してないのです。
本来、同じ画像が2コマ続かないところなのに、同じ画像が続いていたりする。
だからその書き出し機能は以前から使ってなかったし、今後も使わずにいたいのだが。

QuickTimeが7.4.5より古いバージョンなら(バージョンアップする直前、7.?を使ってたのか覚えてません。7.3.?か、7.4.0、かな)、FlashCS3のパブリッシュでQTムービーを作る事ができた。
パブリッシュする前に、Flashプレイヤーの対象設定をバージョン5以下にするんだけど、それで表現できる範囲が変わってくる(たとえばフォントがClassicで使えるフォントに置き換わったり)、という問題がないでもない。
それでもパブシッリュでファイルを作った方がいい。

"ムービーの書き出し"で作られるムービーファイルは、ビットマップ画像のムービーで、
パブリッシュで作られるのはベクトルデータ。だから軽くていい。のみならず、パブリッシュされたQTムービーでは背景をアルファチャンネルとして透明にできたりする。
そんな利点があってもなくても、"書き出し"で作ってタイムラインと同期しないんじゃ困るでしょ。ムービーがぎこちなく動くんですよ。

しかし、QuickTimeを7.4.5にしたら、QTムービーのパブリッシュができなくなってしまった。
加えて、以前にパブシッリュしたムービーも読めなくなった〜!
FlashでパブリッシュしたQTムービーは、"Flashトラック"という専用のコンテナをあてがわれるのだけれど、その読み書きどちらもできなくなったようです。
もうQuickTimeはFlashとの連携はやめた、という事なのでしょうねえ。困ったものだ。

これじゃあ、Flashで作ったムービーをFinal Cutに読み込むのもできないぞ。
Flashでアニメを作ってYouTubeにアップするとか、どうやってやるんだ?

とりあえず、Classic環境を起動して、Flashバージョン5とQuickTime6の組み合わせを使うことにしますか。
まいったね〜。新しいMac欲しいのに、Classic依存症が深まる。

2008年5月7日水曜日

映画「スパイダーウィックの謎」The Spiderwick Chronicles

於TOHOシネマズ西新井

久しぶりにまともなファンタジー映画を観た。
いいですね、この映画。
あんちょくファンタジーにありがちなのは、主人公や主人公たちが特異点となって、物事や流れがそこの点に集まり、脚本家が目指す方向に拡散していく、というものですね。
そんなテレビドラマや映画はいっぱいあるけれど、ファンタジーは特に、運命づけられた勇者であるとか、隠された超能力の才能があるとか、ドラマ作りに都合のいい設定をおおっぴらにやっていいジャンルなのだ。と多くの映画プロデューサーは思ってるらしい。
だから近頃のファンタジー映画は、まずそれら特異点が主人公にあって、特異点がいかに特異か、というのを競ってるふしがある。
その特異さを表現するのにCGに頼りきりで、ビジュアル面さえデコレーションしていれば、あとはなるようになる、うまくすればCGが説得力にもなるんじゃないか、そんな甘い見通しで作った映画の代表が、僕が最近見たなかでは「ライラの冒険」(このブログ2008.3.18の記述)ですね。

しかしこの「スパイダーウィックの謎」は違う。

The Spiderwick Chronicles
2007年アメリカ映画。
監督 マーク・ウォーターズ

CGもいっぱいあるけれど、今の基準で言えばひかえめに見えるし、(ひかえてなくてもひかえめに見せるのがVFXマンの腕の見せ所!)
主人公たち姉弟も、人より凄い才能があったり、強い幸運や守護者がいたりしない。

妖精、というよりも妖怪と言ったほうがしっくりくるクリーチャーデザインも、あちらの妖怪研究家がテコ入れしたかのようで、新鮮味はなくてもなんだか西洋的なナマナマしさがある。水木しげる風(あくまで西洋の)とでも言いましょうか、舶来本の挿絵に出てきそうなのです。

大おばさんや、妖精の国に連れて行かれたアーサー・スパイダーウィック(デビッド「ボーン・アルティメイタム」ストラザーン)にやっと会えても、一発逆転できるようなヒントやらアイテムやらがもらえるわけでもない。
決して広い世界の冒険でもない。せいぜい家から半径100メートルぐらいかな。だからでこそ妖精のいる現実世界であって、人間のこどもができる事なんて限られているのだ。
トロールなんぞに追いかけられたら必死こいて逃げるしかないんですよ。(トロールじゃなくて別の名前だったかな)

しぶいファンタジー映画だ〜。
ニック・ノルティ演じる悪妖怪が、強いけれどどこかしらインスタントな強さだから、インスタントに負けてしまうという面も、なんだか水木しげる風に感じられる。
このしぶさ、ミニスケールっぽさが、冒険をよりリアルに、一歩入ってみたいものにさせるのです。
大きすぎない空想世界、現実からの無理のない延長、そのバランスがいい。
「ひねくれてるので信じてもらえない」という定番シチュエーションから、いつしか3姉弟で「冒険」するわくわく感まで、
クリーチャー造形がCGメインのファンタジー映画に、こんなに心躍るとは思わなかった!脱帽です!

原作は数冊の本になってて、どうやらその数冊分がこの映画になってるようだから、やや"いそがしい感"はあるけれど、うまい具合に脚本化してるので、キャラクターの感情面などのリアリティが破錠することもない。
加えて、ジャレッド少年の喪失感もきっちりと描いている。
おっと脚本はジョン・セイルズですよ。
続編を作る気配ゼロという潔さもいいですね。

ひとつよくわからないのは、なぜ双子なのか、という事。
まあ原作がそうだからなんだろうし、人気子役フレディ・ハイモアのファンへのサービスで、ふたつのキャラを演じさせよう、という思惑もあったのだろうけれど。
対照的な双子の兄弟がいる、という事がジャレッドの喪失感に与える影響をもっと描かないと、映画として双子にした意味があまりないような気がする。
映画やドラマの典型的な双子なんて(特に子供の)、同じ服着て、並んで立って、何かあったら同じリアクションして、やたら呼吸があって…
そんな描写はしたくなかったのだろうし、そこまでやれとは言わないけれど、サイモンとジャレッドで、ほら二人はこんなに似ている、というシーンがひとつぐらいあった方が、ジャレッドのさみしさや行動をもっと理解できそうな気がするのです。

ところで、最後にちょこっと出て来る父親役、アンドリュー「イヤー・オブ・ザ・ガン」マッカーシーですよ、へ〜え、情けない父親役がしっくりくる風貌になったもんだねえ。時を感じますな。

2008年5月1日木曜日

映画「ノー・カントリー」no country for old men

於TOHOシネマズ西新井

殺人者シガー役、バビエル・バルデムだ。
予備知識ほぼゼロで見たので知らなかった。映画を見ていて、おや、この人って…と思ったのだ。
僕は「海を飛ぶ夢」しか見てないからあの映画の30代の設定の彼と確かに似てるそりゃ同じ人なんだから。
へーえ、すごいな。「海を飛ぶ夢」も凄いと思ったけれど、まあこっちは個性的な殺人者役だから、一定以上のレベルの役者なら強烈な印象にはなるんだろうけれど、それにしてもバビエル・バルデムとはねえ。

「ノー・カントリー」
no country for old men
2007年 アメリカ映画
監督 ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン

さてしかし映画の方は、う〜ん、確かに、映画が終わってしばらくはショックのようなものでふらふらしていたけれど、だからと言ってこれが考えされられる素晴らしい映画なのかというと、別にそんなこともないのでは。
犯罪映画、スリラー映画としてよくできているのに、その路線では肩すかし。
「ファーゴ」の路線を拡張したと言えば、確かにそうとも言える不完全燃焼ぐあい。
どうやらその、燃焼しないっぷりもまた重要な表現らしいんだが、映画全体のスタイルが結局はアメリカのよくできたスリラー映画なもんだから、すかすだけでなく明確なチェンジも示して欲しい。
どこか途中でカチっと変わるポイントが欲しい。
モンスター的殺人者とモンスターでは違うのだが、どっちなのか早い段階ではっきりして欲しかった。あれくらいの殺人者ならサイコアクション映画帝国アメリカには大勢いるでしょう。

トミー・リーが往年の追跡者っぷりを発揮してくれないから、どうやらこれは普通の犯罪映画としてまとめるつもりはないのだな、というの予感も薄々ある。
しかしこれなら、この物語なら、本物のラテンアメリカ映画のようなつくりの方が、僕はもっと受け入れやすいし、後々まで記憶に残るだろう。
本物のラテンアメリカってのは変ですかね。だって原作はアメリカ人だから。
本場の、かな。「不条理」をそこにあるものとして描く本場。

でもハリウッド映画だから、スリラーがうまいコーエン兄弟だから、こうなってしまうのは仕方ないのかな。
本当は僕は、コーエン兄弟の巧さに舌を巻きたいんだけど、なんだか「不器用さを見せられない」不器用を感じてしまった。