於TOHOシネマズ西新井。
予告編や宣伝の感じから、凄腕「もみ消し屋」が巨悪を手玉に取る…みたいな映画かと思っていたらどうも違ったようだ。
Michael Clayton
2007年アメリカ映画
トニー・ギルロイ監督
凄腕らしいんだけど仕事にイヤ気がさして、と言って新しい人生をさがすでもなく、悶々と日々の雑事に追われている中年男性がジョージ・クルーニー扮する主人公。
いちおうサスペンス的な要素もあるけれど、ハラハラさせるのが目的ではない。
じゃあこれはどんな映画なのかって、ちょっと表現しにくい。一風変わったタッチのリアルさを積み重ねて、映画のスタイルをきっちり固めるのを避けているのか、少なくともハリウッド映画らしいカタチにはしたくないようだが…
僕の見たてだと、極端に個人的なファンタジー、ですね。個人的すぎてジョージ・クルーニーの中の気持ちの高ぶりとこっちの期待とがタイミング合わない。
ふつう映画というものは、そのへんのタイミングを合わせるものなんだけれど、合わないとなると、合わない僕にとっては、一個体のみの例としてただ頭に入力されるのです。
そりゃ、あの馬のシーンは美しかった。本の挿絵とそっくりな光景があって、おもわず車から降りて…というのは映画的美術だと思います。人間個人のファンタジーを容赦なく描いてこそ映画だと思う。
でもこれってそんな映画だったの?
他の人物はみな、どう稼いで生きて行くのか、自分が誰に何をするかはっきりしている。
仕事がイヤになったと明言して行動する同僚から、借金取りのじいさんまで、自分のやる事がはっきりしているのに、ジョージ・クルーニーだけが悶々としていて煮え切らない。いつまでも悩んで困って、まわりの状況から仕方なく行動している。
映画もまた、クルーニーに何をさせたいのかはっきりしないまま進む。
型にはまった展開や脚本・描写を避けてしまったのがかえってよくなかったのではないかな。
「ボーン・アルティメイタム」の脚本家トニー・ギルロイのデビュー作と思えば確かに、この独特のリアルさ、細かいこだわりは納得できる。
どうやらフィクサーが大活躍する映画ではなさそうだとわかってからでも、それなりに楽しめる。
「なんだかよくわからないけれど、何かが確かに進行している」という感覚があって、それはそれで面白かった。でも映画が中盤になってもずっとそのままなんだもん。
どんな事が起こっているかというのは段々わかってくるけれど、クルーニーのあやふやなポジションが全然変わらない。
事件を扱った映画なのにその進展にクルーニーがまるで影響を与えない。
なにしろ見る前は「オーシャンズ13」がもっとリアルに、ワルになって、クルーニーの個人プレイ炸裂なのかな〜と思っていたくらいだから、その落差もあったけれど、そういったイメージなしで見たとしても、はてどうだろうか。
いちばんよろしくないのはラストにハリウッド映画らしい大逆転「仕掛けてやったぜ!」てなシーンがある事で、またそのシーンがこの映画で一番スカっとするから始末に悪い。
こんな型にはまったラストでいいのかよ、もっと違う映画にしたかったんじゃないの?今までの微妙なタッチはなんだったんだ。
これだったらシドニー・ポラックに監督して欲しかったぞ。
シドニー・ポラックはこの映画のプロデューサーで、クルーニーの上司役で出演もしてます。
映画監督として「ザ・ファーム」などのお手本サスペンス映画を作っているので、どうしても比べてしまう。
比べてみたらば、う〜ん、このオチならシドニー・ポラックの映画にして欲しい!
トニー・ギルロイのスタイルも細かいところは好きだけれどね。
ここまで書いて、ついさっき知りました。
シドニー・ポラックが5月26日に癌で亡くなっていました。
冥福を祈って「コンドル」でも観ようか。
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