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2011年 アメリカ映画
監督 ダンカン・ジョーンズ
ダンカン・ジョーンズの前作「月に囚われた男」はみてませんが、どっちもSFということで、ちょっと期待しちゃう監督さんじゃないですか。
しかし、あんまり期待しない方がよかったかな。
おもしろいけどね。
ちょっと欲張りすぎというか、ラスト、あそこまでハッピーエンドにしなくてもよかったのではないかと。
この映画のテーマが「魂の救済」だとしたら、そこを鮮烈にみせるために、救済されない部分も必要じゃないかと思う。
でも映画のラストはみんなめでたしめでたしで、ええっと、何がやりたいんだこの映画、グッドウィンもハッピーエンドにさせるために、そこまでこじつけなくてもいいだろう、と思うんですが。
感動シーンナンバー1は「父親との通話」なのに、その後のハッピーエンド攻撃でかなり印象が薄れてしまった。もったいない。
ヒロインへの切ない愛情は、8分間しか生きられないから、そうとわかっている状況を繰り返すから強まっていくので、
「はい、もっと生きられるようになりましたよ、よかったですね」と言われても、切なさがストンとなくなってしまう効果の方が大きい。
ハッピーエンドが悪いとは言わないけれど、全体を丸っこい、張りのない印象にさせてしまう効果があるのは知っておいてほしい。
冷たい現実が必ずある、という前提だからでこそ、そこで起こる感情がより強烈になるのに、
『「現実」に幸せに暮らしましたとさ。おわり』みたいなこと言われても、ふうん、ぐらいにしか思えない。
あのラストが実は現実ではない、という解釈もあるけれど、映画はいつ頃からか「現実」と「非現実」区別に意味を感じさせなくなっている。これは「魂の救済」に重きをおく僕が勝手に感じるだけかも知れないけれど。
映画の根底に「半死状態は不幸なことだ」という認識がある。まあそうなのかも知れないけれど、これは映画なんだから、その認識にメスを入れて「救済」して欲しかったなあ。
それと、僕としては、兵士が入るプログラムのベースである教師、その教師のパーソナリティがもっと影響する方が面白いと思うんだけど、そこまで複雑にすると面倒臭いか。SFとしてありがちかも知れないし。
でもあの、すべてハッピーなラストで教師だけが救済されない気がして、なんだか可哀想。
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