落語「岸流島」は渡し船が舞台になっています。
短気な若侍と気品ある老侍の対立をその途端から、船中の場面だけで語る。
物語などはシンプルで珍しくないが、短い話ながら様々な人物を描いているし、
老侍の人品清廉っぷりもよく、乗り合わせた町人のヤジも可笑しい。
短い噺ながらよくできているので、演者がうまければ気持ちよく聞ける。
ただ、煙管(きせる)文化がほとんど無くなっているので、これから演じる噺家は少なくなっていくのかな。
僕も煙管って実物よく知らないし。煙草も吸わないからね。
噺の舞台は隅田川の"御厩の渡し"(おんまやのわたし)で、現在の厩橋(うまやばし)のあたりにあったようです。
川の墨田区側、現在の石原あたりに幕府が管理する厩があったので、その名前がついたようです。
厩橋。今ちょうど塗装工事中です。
江戸時代は吾妻橋から両国橋の間に他の橋がなかったので、それぞれから1Kmほどのところにある"御厩の渡し"は繁盛したのでしょうね。
川幅は200メートルほど。台東区側からの写真です。
武士は無料で渡し船に乗れたそうです。厩を利用するのが武士だから、渡し船もそのために用意されたのでしょうか。
そこの厩は公用車の駐車場みたいなものですかね。
町人はお金を払ってついでに乗せてもらったそうです。ついでとは言っても、落語を聞いた限りだとほとんど町人ばかりが乗ってるようですが。
噺をする上でどこの渡し船に設定してもいいのだろうけれど、江戸を代表する大川(隅田川)だし、繁盛してる渡し船で侍もよく利用するので、こんな出来事がありそうだと納得しやすいのは御厩の渡しだったのでしょう。
三遊亭圓生のマクラによると、渡し賃は2文。
たぶん他の、純商業的で近くに橋のない渡し船なら、もっと値段高いのでしょうけれど。
屋台の安いそばが16文だった時代で、16文が200円〜400円とすると2文は25円〜50円。
ちょうど対岸に行きたい人なら2Km歩かなくてすむ。
2Km程度だったら今でも普通に歩く人が多いだろうけど、これだけ安ければ江戸時代の人だって船に乗ってもいいかなと思いますよね。
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