ラファティのファンです。
R.A.Rfferty
1914〜2002
1990年頃にハヤカワから短編集が3冊出て、とたんに好きになりました。
それっきりラファティ情報も作品も更新されなかったのだけれど、一年ほど前、知人宅にてサンリオSFから刊行されていた長編2作を発見!
借りました。読みました。
「イースターワインに到着」
ARRIVE AT EASTERWINE
1971年
コンピュータの一人称で語られる、世界を改良する実験について…
マシーンですから、ものごとを正確に伝えるのではなくて、正確に記録に残す、正確に描写するのが仕事なのです。
それを人間がどう読み解くかは知った事ではない。
そんなノリで機械君が書きたい放題。
解説に「ラファティの短編と長編では猫とパイプオルガンほどにも違う」とあるように、短編ばっかり読んでいた人間にしてみれば、途方に暮れる、最初のうちこそラファティ節に大喜びだけれど、どこまでも収集つかないし、新機軸、新発見みたいな重大っぽい要素が次々とあらわれては置いてきぼりにされる。
短編も長編もタッチは似ているけれど、短編ならば、おはなしが「終わる」ことによってうやむやにされてしまう部分が、長編だと終わらないからうやむやにできない。といってそれをはっきりさせるのが目的ではなさそうだ。(いや、機械だから目的を問いても仕方がない)
どうにか本編を読み終わってフラフラしていると、その後の"解説"やらがとってもマトモな文章でああ、なんだか読んでて安心する〜。
もう一冊
「悪魔は死んだ」
THE DEVIL IS DEAD
1971年
死と再生、それから各種シンボルの大安売り。
ラファティが好きだという意識がなかったら、
ラファティがどんな小説を書くか、というのを前もって知らなかったら、ちょっと怖くなって読むのを躊躇するかも知れない。
おそろしい事に、この2冊を読み終わると、それ以前の短編ラファティを読んでも、なんだか物足りなくなってしまった。
だって読んでる時に面白いのは短編で、長編は"苦行"めいた部分もあるのに。
(文章を理解して頭に入れようとするのに理解しきれない苦行もあるし、書いてある内容の暗さ、暗いイメージのせいもある)
ハヤカワの短編集が出版されたのが1993年頃だから、どれも10年以上ぶりに読んだので、昔と印象は変わって当然なのだけれど。
読後の虚脱感がないとダメになってしまったのかしら。
検索したら他のラファティ長編を売ってました。
宇宙舟歌
これは買ったけど、今まだ読んでる途中。
人に薦めるのは短編集です。
今でも普通にハヤカワから一冊、出てました。
怪しげなロジカルマジック。
みんな集まって座った座った、ラファティおじさんのお話がはじまるよ〜。
いきなり長編を読むのはきついです。特にサンリオから出てた2作は。
でもそれはそれで幸せかも知れない。
衝撃が大きそうだ。
いずれにせよ今は入手困難ですけど。
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