於TOHOシネマズ西新井
「ウォンテッド」
Wanted
2008年 アメリカ映画
監督ティムール・ベグマンベトフ
なかなか痛そうな映画でした。
たいていの怪我は短時間で治してしまう"魔法のお風呂"のおかげで、虚弱な主人公はボコボコにのされまくる。
その痛そうな描写を、僕はまあ、娯楽映画として笑って見られましたが、「ファイト・クラブ」のような芸術的必然性があるわけでもなく、もっと普通に作ってよかったんじゃないの?とも思う。
今どきこれくらいの暴力は普通、なのかな。
主人公の境遇や、その他のキャラクター、役者、どれもいいと思います。
モーガン・フリーマンいいっすね〜。よく通る声が耳に心地いいのです。
7月頃には自動車事故で重体説もありましたね。もうそれなりに高齢なのだから、あと何年この声を聞けるだろうか。は〜、ありがたや、ありがたや。ラストもちょっとお茶目じゃないですか。
しかし肝心の暗殺組織"フラタニティ"って、なんだよこれ、織物に偶然できたパターンから人名を解析してその人を殺すって、そんなんで殺されちゃたまんないよ〜。「殺していいんだろうか」ってそりゃ悩むわな。
もっと普通に、大統領が指令する、とかでいいじゃん。
このせつは大統領もロクなもんじゃない、どこに絶対的な"正義”を設定していいかわからないから、神様にやってもらおうという事ですか。
織物工場で訓練するあたりはバカっぽくて好きだけど、この超自然的な前提を通すなら、暗殺シーンはもっとリアルな方がいいのでは。
あるいは織物に偶然パターンが出るという神秘性と、それによりかかる狂気を描いた哲学的SFアクションにするとか。
ようするに暗殺組織を背景にした"超人ゲーム"を描きたかったんだろうけれど、組織の前提にどうも納得いかない。
だからほうら、M・フリーマンみたいな悪者にいいようにされてしまうのだ。こんなトンデモ組織、ブッ潰れて当たり前だ。
(組織の神秘性が映画の重要な魅力だったのに、ラストに壊滅して終わりというのもどうなんだ)
大なり小なり突っ込めるところがあって、それなりに面白い映画だけれど、やはりアクションがね〜。
弾丸を追いかけたりとか、車が飛んだり跳ねたりとか、もうそんなCGには飽きたなあ。いいかげんやめてほしい。
コミック調のテイストとしてわからないでもないけれど、組織の前提にリアルさがないから、アクションシーンはよりリアルなものでないと。
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