2023年11月6日月曜日

映画「福田村事件」

 於柏キネマ旬報シアター

観たの一ヶ月ぐらい前なんですけどね。
このブログで2023.8.31「福田村事件が映画になったって」を書いたので、その映画の感想も書かねばなるまいか。
意義深い映画であると思います。人を差別する、軽蔑する、こんな奴ら死んで当然だと思われて、殺される。ひどい事件があったのだから、なかった事にしないで、はっきり「あったこと」として映画にしよう。それはいい事だと思う。

しかし映画の感想は…「ふーん」ていう感じ。まあいろいろ山あり谷ありと言いますか、練って作ってはあるんだけど、僕が求めていたのは、加害側がなぜこんな事をする心理になったのか、であって、もちろんその説明はあるんだけど、材料の中から映像化しやすいものをさあどうぞと見せている感じで、それが悪いとは言わないけれど、いまいち自分の血や肉として感じることができない。

関東大震災が大きな要因だけれど、地震で揺れてる描写がないのがいけないのかな。予算の都合?そんなスペクタクルな描写なんて、なければないでもいいのだけれど、震災の心理的な影響があまりに描かれなさすぎではないだろうか。地震に関して福田村の人達あっさりしすぎじゃないか。
9月1日の本震だけではなく、その後何日も余震があったはずで、そして本震余震どっちも、12年前の東日本大震災より、関東では揺れを強く感じただろうから、12年前に多くの人が感じたように「これから日本はどうなってしまうのだろう」と100年前の人も不安になっただろう。その強烈な描写がなくて虐殺シーンがあっても「まあ昔の人だから…」と思われてしまうのではないだろうか。

虐殺シーンはそれなりにショッキングだけれど、加害側の人々のスイッチが入る前に、「お行儀のいい文芸啓蒙映画」から「見る人を不安にさせるアートスリラー映画」にぬけぬけと切り替わるべきだったのではないか。

それと、血走った人々が集まって来るシーンも、実際には福田村だけではなく近隣の村々から人が集まって200人ぐらいになっていたらしく(昨年5月頃に見たWikipediaによると)、でも映画ではそんなに人数いなくて、まあ予算の都合だろうけれど、そこは映画的技法でなんとかしてほしかった。人が集まるから狂気も強くなる、止められなくなる、だとしたらやはり、人数が少ないなら少ないなりに、映画のワザで見せてほしかった。
そう、200人の中には虐殺をよしとも思ってないけど、でも積極的に止めるでもなく、ただ不安になって見に来た人も多分少なくなかったろうから、その視点にも僕は興味あったけど、映画にはあんまりそういう人いなかったなあ。
いたのは悩んだ末に積極的に止めた人で、でも虐殺は行われて、あの人物はたぶんフィクションだろうから、映画としてその人物からどのようなテーマを描きたかったのか、フィクションなればこそテーマのひとつが見えてきそうだけれどいまいち判然としないと言いますか、腑に落ちないと言いますか、いや腑に落ちる映画である必要はないけれど、その腑に落ちない具合が不安とか怖さになるならいいけど、なんか、ふーん…っていうような感じ。

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