2007年5月11日金曜日

RAKUGOゆかりの三光新道

「東京落語地図」(佐藤光房著 昭和63年 朝日新聞社)を以前に図書館で借りまして、
そこに、落語「天災」に出てくる心学の先生、紅羅坊名丸(べにらぼうなまる)が居住している"長谷川町の三光新道(さんこうしんみち)"が、今の日本橋堀留町2-1にまだある、と記されていました。
今日、人形町で時間があったので、そこに行ってみたのです。
三光稲荷神社参道が、別名三光新道で、今もまだありましたよ〜。

その本では、そこは商店街になってるような事が書かれていたと思うけど、現在では写真のように、片側に飲み屋さんはあっても、もう片側はでっかいビルでですなあ。ほんの数十メートルの道です。


「三光新道」の文字、後ろにあるのは参道の石碑。


三光稲荷神社 御由来の説明書きによると
古くから娘、子供、芸妓等の参詣するものが多く、ことに猫を見失ったとき立願すれば霊験ありと云う。

そうなんだ〜。

落語「百川」に名前だけ出てくる常磐津の師匠、歌女文字(かめもじ)も三光新道に住んでいたという。
江戸時代のこの辺りは芝居小屋がいくつもあって、もちろん、小屋とは言えないような、大型劇場もあって、たいへんな興行街だったようです。
そんな中でちょっと静かな、小洒落たところだったのではないかな。心学も、常磐津の稽古も、うるさいところではできないし。
落語を聞きに来た客が、長谷川町の三光新道と聞いて、ああ、あそこだなとわかるくらいのステイタスがあったのでしょう。
べにらぼうなまるは実在の人物ではないだろうけど、長谷川町の三光新道が実在するとは、今もまだあってそこを歩けるとはねえ。東京に住む甲斐があるってもんでしょう。

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