2007年9月12日水曜日

落語の土地に行ってみる - 達磨横町 rakugo

佐藤光房著「東京落語地図」によると、本所の達磨横町(だるまよこちょう)は現在の墨田区吾妻橋一丁目の駒形橋寄りのあたりだそうです。
昨日浅草でヒマがあったので行ってみました。

達磨横町なんて落語家が勝手に作った町名と思ってましたが、実在してたのですねえ。
もっともおおやけに認められてた町名なのかどうかわかりませんけど。


建物の間から浅草のランドマークが見えます。川の墨田区側だけど浅草(台東区)のランドマークになってますね。でも墨田区民は気にしないでしょう、通称"ウンコビル"あるいは"ビール飲めるところ"ですから。正式名称は誰も知らない。

達磨横町がでてくる落語の代表は「唐茄子屋政談」
女遊びがすぎて勘当になった若旦那。吾妻橋から身を投げようとしてるところに偶然伯父さんが通りかかって助ける。
家に連れ帰って説教をし、ぶっきらぼうなふうをよそおいながらも若旦那をまじめに働かせようと、おじさんは若旦那に担ぎの八百屋をやらせる。(唐茄子屋。唐茄子=かぼちゃ)
おじさんがおかみさんと住んでいる長屋があるのが達磨横町。
金持ちが住むところじゃないけれど、どん底の貧乏長屋というほどひどくもない。

もう一本は「文七元結」
大店の手代(てだい=成人した従業員。成人する前は丁稚"でっち")の文七は、回収した掛け金の50両を出先に忘れて行ったのに、すられたと思い込んで気に病み、吾妻橋から身を投げようとする。
そこに偶然通りかかったのが左官職人の長兵衛。長兵衛は腕がいいのにばくちにのめり込んで、にっちもさっちも行かなくなってる。
長兵衛の娘(推定ローティーン?)が親を思い、吉原に身を売って50両のお金を作る。来年の12月までに50両返せないと娘は女郎になってしまう。
その50両を持った長兵衛が、50両なければ死んでしまうという文七と橋の上で会う、というドラマです。
長兵衛が住んでいるのが達磨横町で、話の初めと終わり部分はその長屋が舞台になってます。


現在はややくたびれたマンションや小さな町工場がある、普通の下町ですね。達磨横町と呼ばれた頃だって普通の下町だったのでしょうけど。
今でも頑固な職人や苦労人のおじさんが住んでいそうです。

ちなみに落語の世界では吾妻橋は「身投げの名所」になってます。誰かが身投げするとなったら吾妻橋。
ちなみに心中の名所は向島だそうです。

この投稿だったら吾妻橋の写真も撮ればよかったなあ。いつも通ってるから写真を撮るという発想が出なかった。

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